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紀州池田庄の金剛寺と明恵上人
< 和歌山県 紀の川市 >  
 




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金剛寺の明恵上人について         2015年 9月 7日 V00-06

☆ … 金剛寺と明恵上人 … ☆

古に、明恵上人が仮住していました。
有田の糸野から奈良から京都・栂尾へに旅の途中、貞応年中(1222〜1224)に池田庄中三谷の金剛寺に仮り住まいしていた頃、金剛寺を中興したと考えられる。
藤原秀クの子孫である、明恵上人(有田川町歓喜寺中越)も西行法師(藤原義清・紀の川市竹房)共に紀州の出身である。

明恵
この建仁二年(1202)には、明恵は三十歳であった。糸野の庵室において上覚から伝法灌頂をうけ、 阿闍梨として他に法をさずけ得る資格をえたのは、月日は明らかでないが、この年のことであった、 上覚(行慈)は、勧修寺の理明房興然の付法をうけているから、その小野流の法を伝えたものであろう。 明恵は、十九歳の時、興然から金剛界と胎動界をうけたことがあり、その後も個々の法をうけたことはあったことは、前にのべた如くである。 しかし、伝法灌頂は叔父の行慈からうけたのである。
(明恵 日本歴史学会 田中久夫 P62〜63)

金剛寺 建初山 愛染院 真言宗古義京勧修寺末
村中にあり貞応年中(1222〜1224)明恵上人の開基……
(紀伊続風土記 巻三十 P650)

建初山 愛染院 金剛寺
村中にあり。本尊愛染明王。貞応年中(1222〜1224)明恵上人の草創にして、天正兵燹の後、栗林八幡の別當再建するといふ。 俵藤太秀ク碑 境内にあり。秀ク此地を領せし故、没後此碑をたてゝ供養すといふ。銘文詳ならず。
(紀伊國名所図會 巻之一P325)

金剛寺
貞応年間明恵上人当村金剛寺に假住せられし時南都にありき赴き三笠山より勧請して 此処に祀れるなりと云う其時守護の為三十六人随へるものゝ中神職藤原宿禰秀鰭の歌なりとて
  さをしかの声もたふとき神垣や三笠をここにうつす月かも
  (那賀群誌(下)編者 P265)
春日神社の歌碑と歌人ついて を見てください。





☆ 金剛寺の明恵上人 ☆
建久元年(1190)の頃
 明恵上人:十八才
 西行法師:七十三才入寂


---------☆--------<参 考>------------------☆-----------------------
1. 明恵      … 日本歴史学会 田中久夫 P62-63
2. 金剛寺     … 紀伊國名所圖會 巻之一 P325
3. 金剛寺     … 紀伊續風土記 建初山愛染院 金剛寺:『紀伊続風土記 第1輯、巻三十』P649-650
                          和歌山県神職取締所[1910〜1911]、帝国地方行政学会出版部
4. 金剛寺     … 那賀群誌
4. 金剛寺     … 池田村史
5. 金剛寺     … 打田町史
6. 



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