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紀州池田庄の金剛寺と定證
< 和歌山県 紀の川市 >  




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金剛寺と定證(西大寺)について         2015年10月03日 V01-03

鎌倉時代後期に真言律宗 西大寺の渉門定證は、広島県尾道市東久保町20-28(備後国尾道浦)にある
真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺(転法輪山 大乗院 浄土寺)を中興した事が、

広島県史の古代中世資料編W・「尾道地区・浄土寺文書」の中に『定證起請文』として、
嘉元四年(1306)十月十八日付で、書き付けが残されている。

「紀伊国人 定證 深教房」は、故郷を訪れ恩愛(おんあい)の為に、
金剛寺を、弘安七年(1284)十月頃に中興したと考える。
弘安三年(1280) 九月に書かれた「授菩薩戒弟子交名 その一」の名簿の中にある、
「授菩薩戒弟子」・「比丘衆」の最後の方の「已上比丘衆三百八十九人」の
386人目に「紀伊国人 定證 深教房」と記されている。


その「定證起請文」は、次のように書かれている。

117 定證起請文 (口語文訳・増田 博 氏)
…… 前文省略 ……
以前の寺院建立甄録(記録)は斯くの如し。それ以て釈尊久遠実成以来、早や五百塵点劫を経る。 (塵点劫は極めて長い時間)(※ここでは五百年か)我等無始生死(初めが分からぬ程の遠い昔)以来また五百塵点劫をへる。 以て如来の久遠は寿し。 衆生の流転を量測し、生死過去遠々、皆諸仏の化道を漏す。 末末永々、将(まさ)に何仏の引接(引き合わせ)に預らんや。 而(しか)して弟子は億々万劫(まんごう)(大変長い時間)不可議に至る。 希(まれ)に辺土の人身も億々万劫を受け不可議に至る。(※釈迦入滅後、千年で末法となり世は乱れる。 五十六憶七千万年後、弥勒菩薩が現れ世を救(すく)う)

適(たまたま)釈尊の末法に値(あた)り、優曇(うどん)の一現する時の如く(優曇華の花は三千年に一度咲くといわれる)盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)に値(あた)るに似る。 (盲の亀が海中で浮木(ふぼく)にあたる。 どちらも殆んどあり得ない珍しいことの例え) 出離(出家すること)に今在る身、発心した時期は何時なる哉。

而(しか)して、弟子(定證)の生縁(しょうえん)(すべての存在が因縁によって生まれること)は南海紀州なり。

當國(紀州)の風俗は多くは狩猟を好み、一家重代は皆弓馬を携(たずさ)える。朝夕に殺生をなす事屡(しばしば)で三十余年を経ておわんぬ。

爰(ここ)に文永十年(1273)之秋、清風煬獅フ夜、良友数輩と回飲み、当座に彼の誑言(きょうげん)綺語(きご)(巧みに飾っていうことば)の席で三首を題して詠む。 (この時)忽(たちま)ち一念菩薩の心を発すこれ最初に発心の起こり也(なり)。

明年の春出洛の時、(京都)六波羅にて諸人出仕して侍(はべ)るを見る。 その中に或る司馬(軍事を司る官)が殊(こと)に傍輩を越え、眷族(けんぞく)は英雄を圍遶(いじょう)し(かしこみめぐらし)群を抜いた。 これ則ち先祖名将の家を継ぎ富む。後胤(こういん)(子孫)は重代に家を潤(うるお)す故なり。 (定證は出家する前は武士の名家であった)

時に予は竊(ひそかに)に憶(おも)う。 勇士先陣の時、皆命号を替え名を留む、其人臨終の尅(とき)、更に名号を替えず命を留む、勲功(くんこう)の賞、家に伝わる。 永く子孫は繁昌を致す。 闘殺の罪は随身(ともの者)独りが泥梨(でいり)(地獄)の苦果(くか)を受ける。 多くの妻子眷族(けんぞく)の者は中有の路に随(したが)わず。 官位福祿を誇る者は後生の要(かなめ)を備えず。 唯戒(いまし)むは施しを放逸せず、今世・後世伴侶の為。戒に不如(しかず)は究意(つまるところ)生死険道に過ぐ。 出家受戒の志はこの時に弥(いよいよ)相催す。これ第二度の発心なり。

帰国の後、漸(ようや)く旬月(十ヶ月)を送り、九夏を徒(いたずら)に過ごす、三秋は将(まさ)に暮れる。 図らずも善知識の汲引(きゅういん)に値(あた)り、出離(出家)の要門を聞き出すを得る。 則ち、長谷寺へ参詣し終夜宝前に侍(はべ)る。三千三百三十三遍の礼拝を行い、祈(き)請(しん)して曰(いわ)く、南無大慈大悲観自在尊、 今生に必ず菩提心を得発す云々、礼拝すでに畢(おわん)ぬ。

殊に寸府を抽(ちゅう)し(小さい倉から抜け出し)懇志(こんし)を凝(な)す処、夢に非(あら)ず?(覚(さ)める)に非ず不思議の妙瑞を感ず。 愚情は丹棘(たんきょく)(赤いイバラ)の信水(まことの水)自(おのず)から大悲願海の内に通ず。 薩?(さつた)青蓮の慈眼、忝(かたじけな)く、一心に稱念(しょうねん)の底を照らす。感応道交わり、霊験は指掌(簡単になしうる)、哀しいかな貴(とうと)いかな。

同年十一月二七日、本国を辞し南都に赴(おもむ)き西大寺に詣で興正菩薩(叡尊)を奉拝す。尊顔を仰ぎみて目は暫(しばら)く捨てず、燐愍(りんびん)教化の音、深く心肝(しんかん)に銘ず。 歓喜の涙を信愛し眼泉禁じ難し(涙が止まらない)定證申して云う。

年末出家の志あり、然りに父に下(か)愚(ぐ)(自分)の外に男子無し。家業を継ぐため許されず、彼(父)の命に背くは不幸たるや否(いな)や、御許可を豪(たけ)るを欲す。 菩薩は告げて言う、父を敬(うやま)うは其の命に違わず、尤(もっと)も孝の至りなり。諸仏は歓喜し我もまた随喜(ずいき)す。

但(ただ)恩には厚薄(こうはく)あり、孝にも浅深(せんしん)あり、父母の恩は深く高く山海の如し。 日々三時身を割りき供養すれど一日の恩に報いる能(あた)わず、わずかに晨昏(しんこん)(朝夕)の水舛(すいせん)(舛は茶、お茶湯のこと)を給仕してその恩に報わんと欲す。 なお蚊(ぶん)虻(ぼう)の大海を?みつくさんとする如し、况(いわん)や有為(うい)無常の身は任を命ぜず、心は或いは、子が養い親を欲するを待たず、 或いは、親は子の早去で水舛(すいせん)の孝行を達せずと雖(いえど)も出家の本意を遂げず、父子共に二世を得ず、後悔は何の益有(りあ)らんや。 恩欲報恩を棄(す)てざる者、解纜(かいらん)(ともづなを解く、出航する)に如(し)かず。出船は恩を棄て無為の所為に入るのが真実の報(ほう)恩(おん)なり。

謹んで聖告を蒙(こうむ)り礼を作(な)して退く。即ち四王金堂に参り祈請(きせい)して曰(いわ)く。 今三十か日中に必ず帰参して出家を遂(つ)ぐべし。伏して願うは護世四天必垂玄応。遂に素懐(そかい)(念願の出家をする)せしむ。 其の後本国に帰る。誓約(せいやく)日限を計り、また南都進発を企てる。 その路次、粉河寺東堺に河有り、水無瀬河(みなせがわ)と号す。(水無川(みなせがわ)現在・紀の川市の名手川)

かの河を渡る時心中に盟じて曰く、我もし今(こん)度(ど)、出家本意を遂げず、在俗(ざいぞく)の形を以て再びこの河を渡らば、 今生に白黒癩病を受け、来世には無間地獄へ堕ち永く出離(り)するべからからず。 漢の司(し)馬相如(ばしょうじょ)(前漢時代の文人)が遷橋柱(せんきょうちゅう)の銘に題舛(せん)(まちがって題した)如く、大車肥馬(立派な車や馬)に乗らず、またこの橋を渡らず云(い)々。 彼は綿の衣にて故郷に帰るを冀(こいねが)い、予は服緇(ふくし)(墨染の衣を着て)にて旧里を離れるを欲す。 古今時を異にすといえども、賢愚殊(けんぐこと)に貫心、誓約を念ず。自然相以て相違なし。

西大寺に参着、出家得度、菩薩三(さん)聚(じゅ)の浄戒を受持す。 三衣(さんえ)一鉢(いっぱつ)(僧の具備する一式の品)を帯び比(び)丘(く)衆(僧侶衆・男の出家者)に列し布薩座に着す(戒律を守る、反省する)。 仏子(僧)の宿福は深厚(しんこう)、生殖(せいしょく)仏法、今正に菩薩の弟子となる。なお在世の仏弟子が衆生の仏戒を受けるが如し。 即ち諸仏位に入る。仏位は同じく大覚巳(だいかくし)、真に是れ諸仏子、羅雲(らうん)は釈尊の長子なり、我等はまた諸仏の真子也。常に自らを恨みて謂う。我是の客を賊人と作(な)す。 今忽(たちま)ち羅ご羅(らごら)(釈迦の実子、出家以前の釈迦と耶輸陀羅(やしゅだら)との間に生まれた息子)と兄弟たり。

願わくば彼の七宝美(しっぽうび)の跡を踏み、継(つ)がんことを。 同じく千仏授手之記に預からんと欲す。悦(よろこ)ぶべし々々、貴ぶべし々々、唯、下(か)愚(ぐ)(自分のことをへりくだって)一身の発心に非(あら)ず。 一家一族は以て多く出家す。昔は未だ恩愛(おんあい)繋縛(けいばく)(なさけをつなぐ)の緤(せつ)(きずな)を離れず。 三界(さんがい)無安(むあん)(どこにも安住できる所がない)の牢獄に住む。

今はすでに解脱(げだつ)し幢相(どうそう)の法衣を着る(袈裟を着ること)。互いに一寺同学の等侶(とうりょ)、善知識を為(な)す。これ大因縁は蓋しこの謂(い)いなり。
凡(およ)そ西大寺に二十余箇年の間、経(へ)廻(めぐ)る。 朝に夕に興正菩薩(叡尊)の慈訓を稟(う)ける。 寐(び)?(ご)(寝ても覚めても)済度(さいど)利生(りしょう)( 衆生を救済して彼岸に渡すことによって衆生を利益すること)の教識を蒙(こうむ)る。 三度(みたび)受戒(じゅかい)し四度加行す。共に観音の衛護(えいご)を仰ぎ、顕密(けんみつ)の伝法を遂(つ)ぐ。

弘安七年(1284)十月頃、故郷を訪れ恩愛(おんあい)の為に紀伊国に金剛寺を建つ。
永仁六年(1298)辺土の衆生を利する為、西国に赴(おもむ)く。是即ち玄奘三蔵、遊月氏を慕(した)い仏法の志却を求め、 鑑真和尚が来日し弘律蔵(りつぞう)(律宗を弘めた)域(ところ)の跡、海路の便宜(よろ)しきに依り暫(しばら)く 當浦(尾道)に逗留(とうりゅう)(しばらくとどまること)、曼荼羅堂に住し一夏安居(修行)し畢ぬ。
其の後(定證は)宿志(しゅくし)(前々からもち続けてきた願い)に任(まか)せ、無仏世界へ度(渡り)鎮西(九州のこと)に赴(おもむ)かんと欲す (※釈迦入滅後、弥勒出現までの長年月を無仏世界という仏法が及ばない)。 當浦の村(むら)翁(おきな)、村の老人は各々申して言う。衆生利益は強(し)いて鎮西に限るべからず。 何所(なんどころ)で利益を爲(い)すといえども同じなるべき歟(か)。就中(なかんずく)、當浦は高野山根本大塔領なり。

後白河法皇勅願にて両界不断の行法、仏聖供燈の運送の船津(港)なり。 五十六憶七千万年の間、牢籠(ろうろう)(ひきこもる)有るべからずの地なり。何んぞ必ず捨てん大乗善眼の浦、強いて無仏世界の道へ赴(おもむ)く無し。 ただ此の地に住み仏法を興すべし云々。仍(よっ)てその勧誘に就き浄土寺に住す。 當寺に元より堂閣あり、鐘楼あり、東西の塔婆あり、僧坊なく、依怙(えこ)なし、興驍フ住侶(じゅうりょ)(その寺に住む僧侶)なし。ただ青苔明月の閑地(かんち)なり。 空しく晨鐘(しんしょう)(朝の鐘)、夕梵(ゆうぼん)(夕べの梵鐘)の音声を聞く、此の地の体を為す也。 前を向けば即ち蒼海漫々(そうかいまんまん)として遙かに観音補陀落の孤岸に通ず。

後を顧(かえり)みれば、また青山(せいざん)峨々(がが)として、釈尊耆(老いた釈迦)を想像させる闍崛(しゃくつ)の峻嶺(しゅんりょう)(山が高くそびえている)、 夕陽は西に沈み西山の西に想観を凝(こ)らす。白波は南に寄せ、師は南海の南に待船す、観音行者はここを捨(す)ていずこへ去る哉。 伝え聞く、高山寺(高弁)明恵上人、如来(にょらい)恋慕(れんぼ)の思い本性を備える。深心の所念は時に休まず。 紀州(有田郡)湯浅海中の島を出て遙か西方を望み、霧の中より一狐島を見得す。天竺(てんじく)と号す。礼拝して曰(いわ)く、南無五天諸国処々に遺跡あり云々。
…… 中程省略 ……
嘉元四年(1306)十月十八日   渉門定證 起請




☆ … 金剛寺 と 定證の行譜 … ☆


????・??          ‥‥ 金剛寺が創建された時代は、現在のところ不明である
1158.08   保元三年八月 ‥‥ 紀州池田庄金剛寺常住の黒印のある 大般若波羅密多経の巻二百三十

1273.00   文永十年秋  ‥‥ 定證が最初に発心が起る。
1280.09   弘安三年九月 ‥‥ 比丘衆の中に「紀伊国人 定證 深教房」と記載がある。
1284.10   弘安七年十月 ‥‥ 定證が故郷を訪れ恩愛の為に紀伊国に金剛寺を中興する
1298.04   永仁六年四月 ‥‥ 関東祈祷寺注文案に金剛寺の記載がある
1306.10   嘉元四年十月 ‥‥ 定證が『定證起請文』を起請した
1391.09   明徳二年九月 ‥‥ 明徳末寺帳に紀伊国の項に金剛寺の記載がある
1436.03   永享八年三月 ‥‥ 永享寄宿末寺帳の東室二分に紀州 金剛寺の記載がある
1503.05   文亀三年五月 ‥‥ 明徳末寺帳の奥書の追記に交合了の記載がある

1585.00   天正十三年?月‥‥ 豊臣秀吉の根来寺を攻略した際、焼き討ちにより焼失
1633.00   寛永十年?月 ‥‥ 西大寺末寺帳に金剛寺は記載されず
1752.08   宝暦二年八月 ‥‥ 吉宗の命令で紀州の寺院の中で『無本寺で中本寺の寺院』を勧修寺の
                       末寺するようにした時に金剛寺も末寺となった









---------☆--------<参 考>------------------☆-----------------------
1. 定證起請文 … 広島県史 古代中世資料編W (凸版印刷 広島県1978) P679-690
2. 明徳末寺帳 … 叡尊教団の紀伊国における展開 山形大学人文学部研究年報(2013.2) 松尾剛次 P1
               史料(1)を部分的に引用。(松尾剛次氏に戴きました)
3. 関東祈祷寺注文案 … 鎌倉遺文 古文書編 第二十六巻 (東京堂出版 竹内理三1984) P128-129
4. 金剛寺     … 紀伊國名所圖會
5. 金剛寺     … 紀伊續風土記
6. 金剛寺     … 池田村史
7. 金剛寺     … 打田町史
8. 



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