京都市内の地図 西国三十三ヶ所
巡礼めぐり

京都市内

観音霊場


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第 十五 番 観音寺 第 十六 番 清水寺     
第 十七 番 六波羅密寺  第 十八 番 頂法寺(六角堂)
第 十九 番 行願寺(革堂)



第十五番 新那智山 
  <観音寺>今熊野
(しんなちさん かんのんじ)
 宗 派  真言宗泉湧寺派別格本山
 ご本尊  十一面観世音菩薩
 開 基  弘法大師
〒605-0977 京都市東山区泉湧寺山内町32

ご詠歌♪
 昔より  たつとも知らぬ  いま熊野
 仏のちかい  あらたなりけり

交通の便
 ・京都駅八条口から市バスにて泉湧寺道下車。徒歩10分。


  天長(828-833)のころ、東寺で修行していた弘法大師が、この地で熊野権現から暗示を受けた。
そこで大師が、嵯峨天皇の勅旨を奉じて堂宇を建立し、大師自作の十一面観音像を安置した。
これが寺のはじまりである。



み寺と呼ばれる皇室の菩提寺、泉泉涌寺の塔頭。





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第十六番 音羽山 
  <清水寺>
(おとわさん きよみずでら)
 宗 派  北法相宗
 ご本尊  千手観世音菩薩
 開 基  延鎮上人
〒605-0862 京都市東山区清水1-294

ご詠歌♪
 松風や  音羽の滝の  清水を
 むすぶ心は  涼しかるらん

交通の便
 ・京都駅から市バスで206系統で清水道下車。徒歩10分。


  宝亀年間に僧延鎮が音羽の滝で練行しているとき、坂上田村麿が妻の安産のためにと、
鹿の懐児を求めて音羽山へやってくる。延鎮は、殺生による安産の非を論じ観世音の
慈悲を説く。田村麿は、感動し、後に自邸を喜捨して堂宇を建立する。
清水寺に改められたのは、大同元年(806)のこと。


東山36峰を背に京随一の名所、清水の舞台あり。





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第十七番 補陀洛山 
  <六波羅密寺>
(ふだらくさん ろくはらみつじ)
 宗 派  真言宗智山派
 ご本尊  十一面観世音菩薩
 開 基  空也上人
〒605-0813 京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町81-1

ご詠歌♪
 重くとも  いつつの罪は  よもあらじ
 六波羅堂へ  参る見なれば

交通の便
 ・京都駅から市バスで206系統で清水道下車。徒歩10分。


  天暦五年(951)京都の町を中心に悪病が流行し、空也上人は十一面観音を刻んで
庶民の救済に当たり、また悪病で亡くなった死者を供養するため、鳥辺野の入口六原に
堂宇を建立し、十一面観音像を安置した。これが六波羅蜜寺の前身西光寺である。



今に生きる街の僧、空也の心と平清盛縁の札所。





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第十八番 紫雲山
  頂法寺<六角堂>
(しうんざん ちょうほうじ)
 宗 派  天台宗延暦寺派
 ご本尊  如意輪観世音菩薩
 開 基  聖徳太子
〒6048134 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248

ご詠歌♪
 わが思う  心のうちは  六の角
 ただまろかれと  祈るなりけり

交通の便
 ・JRまたは近鉄電車奈良駅下車。近鉄奈良駅より徒歩5分。
 ・JR奈良駅より徒歩20分。駅前よりバスにて県庁前下車、徒歩3分。


  聖徳太子が大阪四天王寺建立のために用材を求めてこの地にこられたのが
用明天皇二年(587)。太子は泉のかたわらで霊夢を感じ、六角の堂を建てて
護持仏の如意輪観音像を安置した。池の坊華道のはじまりは小野妹子と伝えられる。



遣隋使小野妹子の後裔、池の坊華道の発祥の札所。






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第十九番 霊鹿山
  行願寺<革堂>
(れいろくざん ぎょうがんじ)
 宗 派  天台宗山門派
 ご本尊  千手観世音菩薩
 開 基  行円上人
〒604-0991 京都市中京区寺町通り竹屋町下る行願寺門前町18

ご詠歌♪
 花をみて  今は望みも  革堂の
 庭の千草も  盛りなるらん

交通の便
 ・京都駅から市バスにて河原町丸太町下車。徒歩5分。


  円行上人によって開かれ、ご本尊の千手観世音は、行円上人が加茂神社の巨木で
彫刻したものといわれる。上人は射殺した牡鹿の革を衣にして、千手陀羅尼を読誦しながら
市中を歩き、人々にも読誦を進めたことから華上人ともいわれた。



おふみ幽霊の伝説と元狩人上人行円上人発心の寺。





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